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ざっくばらん手記「ばんびじゃーなる」

神様、ありがとう

新生児は小さい。
そうよく聞くけれど、産んだ時、なんて大きいんだろうと思った。
こんなに大きくて力強い命を、私はお腹に宿していたのか。
なんて神秘的だったんだろう。

あれから6ヶ月。
こんなにも息子に付きっきりの毎日を送り続けているのに、息子が夫似とも私似ともまだ分からないお顔立ちだからなのか(でもようやく最近少し夫っぽさが出てきたように思う)、自分が母親になった確たる実感がない。
なんというか、ただ「ごく普通に赤ちゃんの面倒を見ている」感じというか。
よし!母親になったんだから!と強い意気込みが湧いてくるかと思っていたけど、違った。
妊娠と出産を経て、私の中に流れている川に育児という流れが加わって、ごく自然に新しい色を浮かび上がらせた。
息子が生まれても、私の人生の主役は私。
というと少し言葉が強いけど、正直に言えばそういう感覚に近い。

ただ、決定的に変わったと感じることがある。
今までは、例えば前日よりも体重が増えていたりとか前髪が決まらないなどのことで気が滅入ったり、落ち込んだり、消えたい、消えてしまいたいという重たい気持ちに打ちのめされそうになっていたけど、そういう傾向が薄れた。
自分を奮い立たせるまでもなく、すっと薄れた。
息子の小さい無垢な手や、焼きたてのお餅みたいな頬をふわふわと触ったりしていると、昨日より体重が300グラム増えていようと大丈夫、そんな日もあるよねと思う。
「そんな日もあるよね」
これって、今までできなかったこと。

自分の中に抱え込める量はきっと決まっていて、息子の誕生によってそういう類の気持ちを手放す時が来たのかもしれない。
もしかしたら息子が手がかからなくなれば、また戻ってきてしまうのかもしれない。
仮にそうだとしても、今は、こうなれたことを喜びたい。

息子はとてつもなく寝起きがよく、彼の一日が始まると同時に我々も笑顔になる。
息子はとてつもなくよく眠る子で、彼の一日が終わると次の一日が楽しみになる。
今も、朝の6時半からこれを書きだしてもうすぐ7時になろうとしているが、寝室から一人でおしゃべりする声やぶーぶーよだれを飛ばして遊ぶ声が聞こえてきて、また新しい1日が始まったぞとにやにやする。
もしこれを母性と呼ぶなら、私の中に確実にそれはある。

息子に対してしなければならないことと、自分がしたいことの真ん中を常に探している。
今はまだその二つだけでいいけれど、そのうち“息子がしたいこと”も重なってくる。
それが楽しみでならない。
三つめが姿を現し始めるまで、少しでもいろんなものを、一つでも多くのものを見せてあげたい。

今日はどんな一日になるかな。
どんな一日にしようかな。

生後六カ月、おめでとう。

 

(無事に出産できたので「Project B」カテは卒業して、今後息子関連の記事には「さんにんかぞく」タグをつけていきます)