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ざっくばらん手記「ばんびじゃーなる」

生まれて初めて生きている

何を着ようか迷う。指先がかさかさする。髪の毛がうねらない。
空気がさまざまの真ん中に立っているかのよう。

太陽がきらきらしているのに、風がつんとしている。
干した洗濯物は冷たいけどちゃんと乾いている。
心地のいい矛盾を感じるこの季節が好きだ。

育児といえば毎日何かに追われているようなイメージが多いかもしれないけれど、
自分で言うのもなんだけど、私は支障のない範囲でさぼったり、自分たち(私と夫)の好きなことを守っているので、言うほど切羽詰まってはいない。
もちろん夫の理解と、協力と、第一子にして「この子はたぶんかなり育てやすい」と思わせる息子のおかげでもある。

特に息子は、近況報告するだけで自慢しているようにすら聞こえるんじゃないだろうか、というほど順調の極み。
生活の大部分を占めて、かつ大きな軸となっていた授乳が2回に減ったことも大きいと思う。
朝一と夜寝かしつける前の2回。
離乳食が一日3回になってから割とすぐにそれが定着して、もちろん代わりにしっかりと3回食事をとらせる必要があるのだけど、授乳よりは自分(大人)の生活にグッと近づく。
育児のスタートはとにかく授乳授乳授乳、だからね。

一年前の今頃は、じわじわとその時を待っている日々だった。
まだ夫と二人の生活。

この一年は、二人から三人へのドラマティックチェンジに適応していくための時間だった。
あらゆることを早急に変えて、時には己を殺してただ飲みこまなきゃいけないこともあって、まだ適応しきれていない部分もある。
歯がゆい、苦しい気持ちになることもある。
でも10年後、20年後、きっと「あの時頑張ってたなあ、うふふ」と振り返ることができる日が来る。

あと一週間で息子が1歳になる。
なんて不思議な気持ちなんだろう。
生まれて初めて自分を褒めたい気持ちになっている。

ちょっとやそっとのことですぐ死にたい消えたい止めてしまいたいと思っていた私が、そんな類の事を一度も思う暇もなく一年間を駆け抜けようとしている。
息子がそこにいるから、折れている場合ではないのだ。
明日は必ず来る、生きてさえいれば。

隣の部屋で、息子が起きて泣き出した。
泣いてる声もまたかわいい。呼んでる。
この日常が愛おしい。

神様、ありがとう

新生児は小さい。
そうよく聞くけれど、産んだ時、なんて大きいんだろうと思った。
こんなに大きくて力強い命を、私はお腹に宿していたのか。
なんて神秘的だったんだろう。

あれから6ヶ月。
こんなにも息子に付きっきりの毎日を送り続けているのに、息子が夫似とも私似ともまだ分からないお顔立ちだからなのか(でもようやく最近少し夫っぽさが出てきたように思う)、自分が母親になった確たる実感がない。
なんというか、ただ「ごく普通に赤ちゃんの面倒を見ている」感じというか。
よし!母親になったんだから!と強い意気込みが湧いてくるかと思っていたけど、違った。
妊娠と出産を経て、私の中に流れている川に育児という流れが加わって、ごく自然に新しい色を浮かび上がらせた。
息子が生まれても、私の人生の主役は私。
というと少し言葉が強いけど、正直に言えばそういう感覚に近い。

ただ、決定的に変わったと感じることがある。
今までは、例えば前日よりも体重が増えていたりとか前髪が決まらないなどのことで気が滅入ったり、落ち込んだり、消えたい、消えてしまいたいという重たい気持ちに打ちのめされそうになっていたけど、そういう傾向が薄れた。
自分を奮い立たせるまでもなく、すっと薄れた。
息子の小さい無垢な手や、焼きたてのお餅みたいな頬をふわふわと触ったりしていると、昨日より体重が300グラム増えていようと大丈夫、そんな日もあるよねと思う。
「そんな日もあるよね」
これって、今までできなかったこと。

自分の中に抱え込める量はきっと決まっていて、息子の誕生によってそういう類の気持ちを手放す時が来たのかもしれない。
もしかしたら息子が手がかからなくなれば、また戻ってきてしまうのかもしれない。
仮にそうだとしても、今は、こうなれたことを喜びたい。

息子はとてつもなく寝起きがよく、彼の一日が始まると同時に我々も笑顔になる。
息子はとてつもなくよく眠る子で、彼の一日が終わると次の一日が楽しみになる。
今も、朝の6時半からこれを書きだしてもうすぐ7時になろうとしているが、寝室から一人でおしゃべりする声やぶーぶーよだれを飛ばして遊ぶ声が聞こえてきて、また新しい1日が始まったぞとにやにやする。
もしこれを母性と呼ぶなら、私の中に確実にそれはある。

息子に対してしなければならないことと、自分がしたいことの真ん中を常に探している。
今はまだその二つだけでいいけれど、そのうち“息子がしたいこと”も重なってくる。
それが楽しみでならない。
三つめが姿を現し始めるまで、少しでもいろんなものを、一つでも多くのものを見せてあげたい。

今日はどんな一日になるかな。
どんな一日にしようかな。

生後六カ月、おめでとう。

 

(無事に出産できたので「Project B」カテは卒業して、今後息子関連の記事には「さんにんかぞく」タグをつけていきます)

わたしの中のふたつの心臓

臨月に入った。
いわゆる妊娠10カ月目、というやつである。
臨月と言うとすごく大きな区切りではあるけれど、第一週目はまだ正産期(予定日前の出産であっても早産と言われなくなる時期)前。
この微妙な一週間のギャップはなんなんだ、と思いながら過ごしている。

わたしの場合は、ずーっとつわりと隣同士の妊娠期であった。
妊娠がわかった頃から毎食後に気持ち悪くなり、働いている時期は昼食は抜いて、どうしても空腹に耐えられない時にヨーグルトを口にする程度だった。
豆腐であろうと食べれば気持ち悪くなるので、外食が気分転換である主人に「だから食べられないって言ってるじゃん、いちいち今気持ち悪いですって言わないとわかんないかな」とひどい八つ当たりも(何度も)した。
友人に誘ってもらったランチの後も家に着くなり冷や汗かくほど気持ち悪くなって身動きが取れず、せっかく楽しかったのに、と一人泣いたりもした。
あとは、一日中キッチンシンクや洗面台、お風呂場でもにぺっぺっとつばを吐きまくっていた。
いわゆる唾液過多になる唾液つわりというやつで、これが地味なんだけど結構つらい。

今日も変わらず続く主なその2つの症状に加えて、経験したマイナートラブルは挙げればきりがないけれど、予定されている検診以外の受診が一度で済んだのは幸いだったとしか言いようがない。
生理でお股から出血なんて慣れっこだろうに、あの日鮮血を見て感じた震えは忘れらない。
なんと書いたらいいかわからないけれど、語弊を恐れずに書けば、世界中の妊婦さんの幸せを願わずにはいられない気持ちだ。

この妊娠にもいずれ終わりがやってきて、息を吸ったら吐くように、切れ間なく新しいことが次々にやってくるんだろう。
まずは、お腹の子がお外に出てきたら、息を吸って吐いて、そしてそれを忘れずにし続けていってくれることを願う。
へその緒が首にくるんと巻いているらしいんだけど、マフラーの代わり?お腹の中にいても寒いの?
お外はそこより寒いけど、あったかくしてあげるから大丈夫だよ。

主人がTodoに挙げてくれていた「妊娠後期に入る前に二人で旅行」なんて、実現のじの字すらかすらずだったけど(こちら参照:こたえは20年後に出そうよ - Bambijounal.jp)、それは老後のお楽しみにとっておこうかね。

実はいまだに、自分の中に今心臓がふたつあって、それが違うリズムで脈を打っていることが信じられない。
主人のエッセンスをも受けて育って、それでもうすぐ切り離されていくのね。
本当を言うとね、やっと会いたいなと思い始めたの。
不安だけが先を行く7カ月だったから。
この頃は、初めて穏やかにぼんやりと会いたいなぁと考える。
何か足りず産まれてきたら補うために会いたいし、何か多く産まれてきたら分け合うために会いたいよ。

寒くないよ。
もう要らないと言われる日まで抱きしめるからね。

私がかなしみ疲れる前に

昔は意味なく角度のついた眉毛をしていたけど、今は正直あんまり手入れ自体していないくらいの生えたままの眉毛だ。
自分の感覚として、メイクオフした時に眉毛がごっそりないのだけはちょっとやだなぁと考えているのもあるんだけど。

おしゃれ雑誌では、当たり前のように服装に合わせてメイクを変えるきらきら女子たちが踊っている。
そしてきっと現実にそういう人ももちろんいるだろう。
だけど、私には無理だ。
化粧品のバリエーションを揃えておくことも(お金かかる)、それを整頓しておくことも(面倒くさい)、そして何よりある意味では自分のシグネチャーであるこの顔以外の自分で外にいることも(すごく不安)。

馴染みのない色を肌に乗せるというのは、結構勇気のいること。
そしてプラスばかりではなく、マイナスすることもテクニックだと知っているけれど、“普段やっていることを(あえて)やらない”のも、非常に勇気がいる。

新しい色にチャレンジしやすいのは、リップカラーやネイルカラーだと思っている。
それは私レベルの人にもトライしやすくて、リップは何色か持っているし、実際に洋服の雰囲気に合わせて選ぶこともよくあった。
特にリップは、ある程度支度が済んだ後に最後の仕上げとして付け加えられる(最初からトータルコーデ全体を考えなくていい)から簡単というのも大きい。

そしてリップの色が変わると、気分が変わるというのは実際にある。
しかもプラスの方に。ちょっと高揚するというか。
だからメイクをいつもと変えることで起きるプラスの作用は、自分でもあるんだろうとわかっている。
けど、それ以上の手を加えることができない。
急に大きな大きな階段に感じて(なんなら壁)、とてつもない勇気がいる。

私にとっての“普段メイク”は、身だしなみでもあり、自分にとっての安心材料だけれど、その安心材料を“遊び心”ととらえられる余裕がある人が、きっと毎日(もしくは仕事のない日に)様々なメイクを楽しんでいるんだろうなぁと羨ましく思う。
私の場合は、メイクが自分の中で楽しみではなく防御として確立された時から(つまりそれって最初から)気持ちの余裕なんてなかったんだろうなぁ。

とかなんとか、そんなことを思いながら、いま、私の中での「メイク」というものを簡素化しようとしている最中である。
シミがあっても、シワがあっても、いいじゃない。
年を重ねていくことに逆らわない。
それって、いろんなステップをマイナスしていくことなのかなと思い始めた。

でも、やっぱりいきなり顔から取り掛かるのは、前述の通り勇気がいるので(今まだ仕事してるし)、最近手始めにジェルネイルを卒業した。
裸の爪で生活してる。
最初はちょっと恥ずかしくて、でもすぐに何とも思わなくなった。
次はヘアカラーをどうにかできないかなと思っている。
今は全体が茶色、もみあげとえりあしにハイライトを入れている。
ハイライトは残しておきたいから、代わりに全体染めをやめようかなーと。
茶色から一旦黒に戻すという案。
黒髪なんて、高校受験の時以来だよ…!
これは本当に本当に超絶似合わないと思うんだけど、きっとギャップがあるのは最初のうちだけでじきに慣れるんだろうなぁ。
むしろ黒髪のほうがハイライトは映えるはずだから、それはちょっと期待もしてるんだ。るんるん

生まれながらにして素が美人だったらさ、こんなにいろいろ考えたりしないんだろうけどさ。
そうじゃない自分にはもう慣れたけどさあ。
ぶつくさ言いたくなる時だってあるのサ。
でも、着飾ることよりも、怠惰じゃなく、意図してベーシックな自分に戻っていく、それって結構格好いいことなのかもなぁ。

 

 

(思いつくままに打ちこむと、いつも以上にわけわかんない文章になるね!)

こたえは20年後に出そうよ

主人と私は、LINE上でToDoリスト専用のグループラインを作っていて、会話に埋もれてほしくないやるべきことやリマインダーはそこで発言するようにしている。

そこに、お昼ごろにこんな発言が。
「妊娠後期に入る前に二人で旅行」
「夫婦ともに適度な運動」

大体は私がアレしようよコレしようよと提案することが多いから、彼からそんなことを挙げてくるのは結構珍しい。
つい、会話用のグループで「急にどうしたの?笑」と聞いてしまった。

今週は妊娠5か月の最終週らしい。
週数のカウントを勘違いしていて、つい今朝それに気が付いた。来週からは6か月目に入る。
主人が旅行に行こうと目標にしてくれているいわゆる妊娠中期は、妊娠7か月まで。
私の場合は9月の頭あたりまでとなる。
それまでに旅行って、ど、どうしよっか…?

この週末に、まだまだ優しい胎動を、主人が本人の手で確認したことも彼には何か変化をもたらしている気がする。
こりゃ本当に3人目の家族がいるぞ、という感じというか。
私だってまだ不思議に思っているくらいなのに、父親側からすればもっといろんなことが不思議なはず。
その不思議とワクワクと、きっと次に訪れるのは何十年も先であろう二人きりの時間というものの狭間で、いろんなことを考えるね。私も、主人も。

とはいえ、二人きりでやり残したことなんてあるかなぁ。
あんまり思いつかない。

共通の趣味(ソフトバレー)で知り合って、その趣味に二人とものめり込んで休日はほとんどそれ、仕事や美容院、歯医者など明らかな別々の用事の時以外はほとんど一緒に過ごしてきた私たち。
割と当たり前に常に二人一緒だった。
付き合いが長いわけでもないが、趣味>デートが楽しくて、だからこそたまにのデートがいいスパイスにもなっていた。
そういうバランスが好きで楽しくて選んできたけれど、結婚してから趣味をスピードダウンして。
背伸びすぎない範囲で気持ちよく外に出掛けたり、ソフトバレーより他を優先することに後悔や窮屈さを抱かなくなった。
そして今に至る。

主人は「急にどうしたの?笑」という私の問いに、「どうしたもこうしたもないよ(笑)楽しい時間を共にしたいだけよ」と返してきた。
あぁ、わたしケアされているなあ。
二人きりより一人占めを、今は満喫しまあす。

白でも黒でもなくていい

自分達よりも割と周りの方が「男の子と女の子、どっちかなぁ。どっちがいいの?」と気にして?くださる。
主人もそうだけど、私もどちらでもよいと思ってる。
どちらでも気にもしないし、落ち込みもしない。と今のところは思ってる。

「どちらでもいいんだけど、どっちか気になってきた」
昨夜主人が初めてそんなことを言った。
そろそろ胎児の耳が聞こえたりしますよ、胎動を感じたりしますよ、という時期になってきて、なんて呼んだらいいのかなぁと思うらしい。
確かに。そしてそんなこと考えてる主人がかわいい。

最近は、(主人と胎児をさして)諸君という言葉を使って、「諸君、おはよう」とか言ってみたり、
私「点呼とるよ!点呼!」
胎児役の私「(高い声で)1!」
主人「2!」
私「はい揃いました」
と、点呼を取ったりして、穏やかな時間を過ごしている。

つわりは、先週はかなりおさまっていたけど、今週はなぜか夜ごはん後に気持ち悪さがまた出てきた。
日中に具合悪い日もあったなぁ。一進一退って感じだなぁ。

まだあんまり実感ない。
おへそ周りだけ毛深くなって、ナニコレ守ってるってこと?人間てすごい、と驚くし、
マタニティデニムはどんどんフィットしていくし、
胎動なんだろうなぁというものも1週間前くらいから感じようになってるし、
確かに変化はあるんだけどね。

今夜は、明日の朝からのご用事のために吉祥寺に前泊。
本当に何をしてもすぐへろへろになるから、少しでも体力温存したいからね!
夜ごはんはスペイン料理と決めてる。
パエリアの仕送りがいくからねえ、待っててねえ。
(「仕送り」も最近家庭内で流行ってる言葉なのだ!)

いくら重ねてもかさばらないものって、なあんだ

昔から躊躇わずに電車内などで席を譲る方だと自分では思っているが、譲ってもらったのは初めてだった。
今日のことは、初めておじいさんに席を譲ってドッキドキしてそわそわして汗かいた日のこと以上に、忘れられないと思う。

今日は、月に一回の8時スタートの会議に合わせて7時半過ぎに出勤する日。
普段通勤の電車ではほぼ座れるけれど、時間帯を繰り上げるといつも通学時間とぶつかってなかなか座れない。
今日もそうだった。
体が密着し合うような混み具合ではないのでゆったりと立っていると、後ろから誰かに肩をトントンとされた。
自分と同じぐらいの年代の女性に「どうぞ」というモーションをされる。

わ…!
びっっっくりした。本当にびっくりした。
ありがとうございます、と声に出して礼を言い、有難く座らせてもらった。
どきどきした。
その女性は、白いトップスにカーキのパンツ、足元は黒いパンプスだったと思う。
フラットパンプスじゃない、パッと見で5~7センチくらいのヒール。
確かに、たしかにマタニティマークがリュックに付いてるけど、ゆったりワンピにスニーカーで楽ちんスタイルな私が譲ってもらってしまった。
うれしいけど、何とも言えないきもち。
座ってから、仲間内でやっている三国志のゲームアプリを操作しようと思ったけど、申し訳なくてやめた。
どういう顔をして座っていたらいいのかわからなくて、じっと目を瞑っていることにした。

彼女は、私と同じ駅で降りた。
商業施設もまだ開いていないような時間に同じ駅で降りる=ほぼほぼ同じ会社勤めだと思われる。
本当にありがとうございます。と、先を歩いていった彼女の背中に向かって、心の中でもう一度言った。

マタニティマークをバッグにつけるようになり、普通に荷物を前に抱えて座っているだけなのにマークを見せびらかしてしまっているような気持ちになったり。
何となく気まずくて、見えないように隠してみたり。
その全く逆で、気持ち悪いなぁという時に限って、えーと…本当に必要としてますか?という人に遭遇してしまって、(性根が悪いと言われそうだけど)ペカーッとマークをかざしたくなったり。
そんな中での今日の出来事。忘れない。忘れられるわけない。
初めていわゆる譲ってもらう側(←この言い方も語弊がある感じだけど、置いとく)に自分がなって、いろんな気持ちがごちゃまぜだ。

どう結んでいいのかわからないけれど、ひとり言として書いた。
妊娠してからのほうがいろんなことに気付き、気付かされている。
毎日が学び。

彼女からもらった優しさ、すーっとわたしに沁み込んでいった優しさを、いつかまた誰かに返したいよ。