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ざっくばらん手記「ばんびじゃーなる」

からまった糸をほどいていくこと

二度目の山と谷の話。

2016年の春、風邪ひいて扁桃炎になって、固形物を少しの間避けていたらちょこっと服が緩くなった。
わたしにとって体重計に乗ることは恐怖でしかないので、痩せている確信がない限り体重計には乗らないのだけど(もちろん一度目の山の時は毎日計っていたよ)、乗ってみたらやっぱり体重が落ちていた。
おおお!
感動した。久々に心躍る感じ。
このまま維持したい、しよう、るんるん

その時期にひょんなことからソフトバレーボールを開始。
少し離れた体育館に自転車で通い、がっつり汗をかいてまた自転車で帰ってくる。
気が付かないうちに有酸素運動無酸素運動有酸素運動といういい繰り返しが習慣化して、ちょっと糖質も控えたらあっという間に5キロくらい落ちた。
東京に出てきてから一番軽い身体。楽しかった。
子供用サイズのウェアが着られるようになって、お店でも「これ子供用ですが…?」と確認されるのがまた嬉しいのなんのって。
バレーを続ける限り維持できそう!
過去の体験から減量を続けるよりも維持のほうが難しいことは痛感していたからこそ、よりバレーにのめり込んだ。

程よく筋肉もつき、自分史上一番いいコンデションで毎日バレーや筋トレに励んでいた。プラス楽しい低糖生活ばんざい。
しかし下剤生活は途切れることなく続いていた。
婚約者と付き合うようになり、一番不便なことは彼の部屋がワンルームのためお手洗いと生活空間が壁一枚でしか隔てられていないことだった。
言わずもがな音がそこまで遮断されない。
できる限り彼が寝ている早朝、不在の時、外出先、もしくは彼がベランダで喫煙する時にお手洗いを済ませる。
服用歴が長いためどのくらいの排泄の波の度合いなら我慢できるか大体わかるのだが、どうしようもない時は、彼におトイレ行きたいから一服してもらえない?とベランダに出てもらっていた。
婚約者は大変素直な心を持っている。わたしのお願いに何も疑問を持たない。
わたしはそこに半ばつけこんでいた。

何がきっかけだったのかはわからない。翌年の夏ごろ、時々過食をするようになっていた。数週間に一度、ぶわーっとかきこみたくなった。
この時はまだ「食べ過ぎた~」というような軽い段階。
おいしーおいしーと最初は思っていたが、じきに味わうというよりパンパンパンと勢いよく詰め込む作業に変わっていく。
一週間に一度、数日に一度とスパンが短くなっていった。

婚約者にバレないように、食べた後のごみは近所のコンビニに捨てたり、ビニール袋を重ねて中身が見えないようにして家のごみ箱に捨てていた。
毎日同じコンビニで大量に買い込むのもやめ、いろんなコンビニをハシゴするようになった。
3軒くらい周ってお菓子5袋くらい、チョコレート類4つくらい、菓子パン4つくらい、駄菓子10個くらい、おにぎり、おかず、アイス、ナッツなどなど。
一応これが食べたいと選ぶが、食べるときには味は感じない。
ものすごいスピードで食べていくので、よく噛まず、飲み込むときには喉が擦り切れそうだった。
満腹だと感じた時にはもう文字通り身動きが取れないのだ。
吐きたくてトイレに跪いたこともある。
でも怖くてできない。手も入れてみるけど奥まで突っ込む勇気がない。
これをするくらいなら下剤を倍の量飲む。そう思っていた。

会社でもいよいよ食欲が我慢できなくなってきて、時々お手洗いでこそっと買い込んだお菓子を食べたりすることもあった。
会社の帰り道も食べながらでないと落ち着かない。小さいビスケットなどを買っては食べながら帰った。
そのうち休みがちになった。適度に放置されていたので、会社も休みやすかったというのは事実だった。
そして休んではまた朝から食べるというループ。

ある日(食べ過ぎで)具合が悪いまま寝たら、夜中に激しい腹痛で目が覚めた。
どういう体勢になっても苦しい。呼吸が荒くなって、ごろごろ寝返りを打つ。
おかしいなぁ。困ったなぁ。しかもなんかめちゃめちゃ熱い。
隣で寝ていた婚約者もすぐ目を覚ました。驚いてとにかくおろおろする彼。
熱を測ってみると、38度前半くらいだったかなぁ。
恐らく小一時間ほどのたうち回って、そのうちに疲れて寝落ちた。

翌日は幸いにも土曜日だった。
自力ではろくに動けず、ほとんど覚えていないけど、歩くことすらままならなかったと思う。
とにかく動くとお腹が激しく痛む。撫でることすらできない。彼にもさすらないでとお願いした記憶がある。
婚約者に抱えられてタクシーに乗り、内科を受診。
待合室でも自力で座っていられない。彼の肩に寄りかかり、今にも吐くんじゃないだろうか(と見えていたと後々彼に言われた)というような状態ではぁはぁ待つ。周りも引いていたみたい。(笑)
受付の人からも「横になって待たれますか?」と声をかけられた。
彼の体温だけが支えだったから、大丈夫ですと断った。
この時の彼はまだ何も知らない。

ちょっと根菜を食べ過ぎたと思います。
内科ではそう話し、触診された。痛かった。
横になろうとなるまいと、もはや水死体のようなおなかの膨れ具合。
自分の体が醜くて醜くて発狂しそうだった。
「消化しきれなかった食べ物が腸の中で詰まって、それで炎症を起こしていますね。高熱もその炎症のせいです」
確かに一か所異様にお腹がかたいところがあった。きっとそこに詰まっていたのだと思う。
ワーッと食べてしまうようなことはありますか?と聞かれた。
時々ありますと素直に答えたが、それ以上は突っ込まれなかった。
処方薬を飲めば、39度を優に超えていた熱も腹痛もお腹のしこり(詰まり)もじきによくなるという。
そして本当に少しずつ少しずつよくなった。

同じことを一ヶ月に一度ほど、数回繰り返した。
同じ病院に行ったが、先生は特に何も言わなかった。
同じ薬を処方され、同じように都度少しずつお腹の腫れを引かせていった。
言うまでもなくどんどん太っていく。
毎朝着る服がないことに絶望し、毎晩日記には死にたい消えたいと書き綴り、寝ようと明かりを消して横になるとぼろぼろと涙が出る。
婚約者は「どうしたの」と聞き続けてくれたけど、おセンチな夜なのと誤魔化していた。

9月末、ソフトバレーの飲み会が企画される。引越しのために退部することになった部員の送別会だった。
練習後の時間で設定され、場所は近所の飲み屋さんだったが、婚約者はそのまま練習着で参加すると言い、私は着替えるために一度帰宅した。別行動だった。
シャワーを浴びて、さぁ、何を着よう。
衣装ケースから1つのコーディネートを出して着てみる。あ、だめだ。太って着られない。
こっちは?あ、だめだ。これも、だめ。こっちは合わない。違う。これは入らない。
服を床に投げつけて言葉になっていない言葉で泣き叫んだ。嘘ではない。
うわぁああうううぅうー。文字で起こすとこんな感じかな。
何も着られないまましばらく泣いた。

婚約者から電話が来た。来ないの?大丈夫?みんな待ってるよ。
行けない。
え?
行けない。
どうしてよ。
理解できないようだった。
そりゃそうだ。ついさっきまで元気にバレーやってた人が、いきなり泣いてドタキャン。
結局、会の幹事の子宛てに「ごめんなさい、行けません」と連絡を入れて、それ以降婚約者が帰ってくるまでの間は日記に書き殴って、ソファーで横になったら寝落ちたことだけ覚えている。

日付がまだ変わらない頃彼が帰ってきた。
どうしたのかをきちんと話してほしいという。少し怒っているようにも見えた。
長い沈黙の後、本当に長い沈黙の後、わたしは最近の過食癖を告白した。
太っている自分が許せないこと、痩せてかわいくなりたいこと、コンビニにもバレないようにいろんなところを渡り歩いていること、一人の時はなにか食べるものがないか冷蔵庫の開け閉めを何十回とすること、ゴミはあまり家に残さないようにしていること、これまでの腹痛と夜中の発熱はすべてこれが原因であること、トイレで跪いたこと、下剤生活から10年抜け出せないこと、心の奥ではもう止めたいと思っていること、なのに止められないこと。昔の話も少ししたかな。
彼は黙ってわたしの手の握って聞いていた。怒りの色はもうなかった。
わたしの涙をティッシュで拭いては、それを彼が吸収していくみたいに彼は悲しい顔をした。

話してくれてありがとう。でも、こんなに俺が大好きで大切な人なのに、どうしてそんなに自分を責め続けるの。
そんなことを言われた。そしたらそれまでの倍くらいの涙が出た。
下剤はもう止めること、たくさん食べた時は素直に教えてほしいこと、できるだけ夜一緒にお風呂に入ること、(これはできないと断ったけど)そのままの自分を好きでいてほしいこと、そういう病院の受診が必要なら一緒についていくこと。
そんなことを言われて、最後に彼は、今夜はわたしが寝落ちるまで見てると言い張った。
いつもはすぐすーぴー寝る人が、しばらく眠れない私を頑張って本当に見守ってくれたと思う。

大きな山は確かに越えたけど、当然すぐに治るわけではない。
何度も食欲の波に飲まれ、同じような状況に何度も何度もなった。でもその都度頑張って「食べた」と告白した。
シロクマに女の子が抱き着いているスタンプがSOSの時のスタンプとなり、それを送ると彼はできる限り急いで帰ってきてくれる。それでも23時を回ることも多かったけど、ほとんどタクシー使ってくれたんじゃないかなぁ。
毎晩一緒にお風呂に入るという約束も割と大きな役割を果たしていて、イコールお腹見られると思うと少し食欲が治まる。
夜あまり家で一人にならないように、頻繁に仕事帰りの彼を駅まで迎えに行ったりもした。彼が飲み会があれば、その飲み会のある駅まで出向いた。
フィットネス用の水着も買い、彼に付き合ってもらって近所の小学校のプール開放にも出掛けたりした。
それでも努力が形に見える気配がなく、心療内科の受診を検討した。
インターネットって本当に便利だよね。いろんな情報たっくさん出てくる。
心療内科について調べると、受診すると“一番自殺しうる人達”に分類されるから今後生命保険に入れないかもみたいなことがつらつらとね、出てくるわけだ。
当時婚約者とは結婚の挨拶等々の話がもう出ていたから、ちょっと待てよそれってあんまりよくないのか?まだ理性があるなら粘ったほうがいいのか?と悩み。
悩んでは食欲、悩んでは食欲、と繰り返しているうちに徐々に“上手に”食べられるようになってきた。それが2018年にもうなるような時だった。今も、まだ練習中。
頻度はかなり落ち着いたが、まだ、我慢我慢、と言い聞かせることがある。
我慢と思っているうちはまだだめなんだけれど、それでも動けなくなるほど食べることは去年の11月くらい以来ない。

満腹はいつだって不愉快で罪悪感の塊でしかない。
お腹いっぱいを幸せだと思えるようになるまでには、まだ何年もかかると思う。
今でも食事ほど人生で面倒で恐怖なものはないと思っているし、いつか、早く、バツンと打てば必要最低限の栄養を摂りこめる点滴が開発されて市販されないかなとも願っている。(でも彼がばくばくわたしの手料理を食べるのを見るのは幸せなのだ、人間の考えって不思議だよなぁ)
正直下剤をひゃくぱー手放すのもまだしばらくかかる(持っていると安心してしまうところがある)けど、何かと替えればいいのかもと最近やっと?思いついて、市販の漢方でないしとーるみたいなもう少し安いやつを飲み始めた。
もはや身体の中にしてみたら時遅しかもしれないけれど、今まで生きてきた年数とこれから生きていく年数だったらきっと彼といる後者の方が長いことを願いながら、そのためにわたしは身体も心も健やかになる。
彼がわたしを選んでくれる限り、健やかでならねばならない。

 

「ダイエッター」、簡単なようでとってもむずかしい。

でもいつかなりたい。明るくて、かわいい、ダイエッターになりたい。

 

(えーと、長かったね!)