傷んだルーツ
さて、最初の山と谷の話。
二十歳少し手前の時、レコーディングダイエットが流行ったのかなぁ。
そのレコーディングダイエット用のノートが雑誌の付録として意図せず手元にきたのだ。
こんなのあるんだー、くらいの軽い気持ちで食事管理にトライ。
やりだしたら徐々に体重が落ちたんだと思う。
面白くなると同時に、どんなものでも口にしたものはすべて漏れなく記録しないと落ち着かなくて、そのうち摂取カロリー<消費カロリーにならないと許せないようになった。
ノートを持ち歩けない時は、常に携帯にメモ。
母の手料理もおかずの中から具材を選んで食べ、一人ごはんの鉄板は、小皿に盛った水菜とスプーンできっちり計ったドレッシング。それを利き手じゃない左手でゆっくり食べる。
部屋にこもっている時は何かしらのながら筋トレ。
何もろくに敷かずにフローリングでやってたから、(筋トレ方法が正しいか否かはさておき)例えば腹筋の時に擦れる腰の背骨のところは擦れすぎて象の肌みたいに黒ずんでカサカサになった。
今思えば、どうやら体脂肪が落ちすぎていたみたいで、そうしてないと寒くて常に震えてブランケットに包まっていたなぁ。
マッサージもすればするだけ浮腫みにいいと思い込んでたから、やりすぎで足は指圧の痣だらけ。
それが勲章ですらあった。
(栄養失調気味の時って痣が出来やすくなったりするのかしら。)
半年くらいで15キロ強減。
そんな驚愕するような数字ではないけど、兎にも角にもカロリーを摂取しないでカロリーを消費することが毎分毎秒の目標だったことは、今思うとかなり縛られていて変だったと思う。
当時は自分がやっていることは立派な努力だと信じていたし、誇らしかった。
なにせどんなブランドでもたいてい上下Sサイズが着られた。なんならSで緩いことも。
“Sサイズ”!欲しくて欲しくてたまらなかったラベル。
足の甲も手首も鎖骨も骨ばって、嬉しかった。
でも思うように頬のお肉が落ちてくれなくて、継続してもっとかわいくなりたいと思っていた。
そんな生活していて生理が止まらなかったことはラッキーだったとしか言いようがないが、その頃から便秘に。
そりゃそうだ、食べないんだもの。何も出ない。
でも出ないことが許せない。体内に食べ物、体内に食べ物。
そこで手を出しちゃったんだよなぁ、薬局で売ってる便秘薬。はぁ。
ここから私の下剤生活が始まる。
この便秘薬というやつ、冷や汗出るし、時々ふらっふらになるんだけど、これがまぁまた気持ちをずいぶんと満たしてくれるんだ。小粒のくせに。
最初は3日に一度くらいの服用だったが、そのうち毎日の服用が当たり前に。その時大学3年生。
リセットされるわけなんてないのにリセットできている気持ちになって、今度は馬鹿みたいに食べだした。
編入したお嬢様大学(と言われていた)が嫌で嫌でしょうがなかったことも火に油を注いで、気付いた時には19の時(しかもダイエット前)よりもリバウンド。
精神安定剤になりつつあった菓子パンを必ずバッグに忍ばせながら通学していたが、太るにつれて徐々に大学にも行かなくなり、ネカフェに入り浸ってお金の続く限りサボってそこでやみくもに食べ続けた。
そのことに両親が気付いていたかどうかはわからない。
たぶん気付いてないと思う。どうだろう。違うかな。
4年生に上がるときに、母に大学を辞めたいと告白した。
母はどうしてと聞きながら怒った。ゼミの先生は「英語ができるのだし勿体ない、頑張ろうよ」と止めてくれた。
それでも行きたくなかった。
何になりたいわけでも、何がしたいわけでもなかったけど、とにかく大学には通い続けたくなかった。
父にも何か言われたけど、具体的には覚えていない。
たぶん当時のわたしには何を言っても無駄と思ったんじゃないかな。いつだって建設的な父だ。
中退して家にいるようになってからは、ダイエットらしいダイエットをすることはなかった。と思う。
ダイエット生活と関係なく下剤の服用は続けていたから、今となってはもう境目がわからない。
これが拒食症とまでは言わないだろうけど、摂食障害ではあったと思われる話。
書き出して思うけど、結構覚えていない。なんとなくかき集めてる感じ。